カンヌやアカデミー賞で今もっとも話題の映画「万引き家族」。
映画の中、そして是枝裕和のインタビューの中に絵本スイミーが度々登場しますよね。
このスイミーには深い意味があったこと、僕は知りませんでした。汗
・映画製作中に監督が実在のスイミー少女に会っていた!
・映画に込められたスイミーの意味とは?
そんな万引き家族と絵本スイミーの謎にせまっていきますね。
是枝監督とスイミーを音読してくれた少女の出会いでこの映画はできたんです。
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【万引き家族】と「絵本スイミー」に秘められた2つの意味
- 1963年に出版
- レオ・レオン作
- 谷川俊太郎が訳した
- 小学2年生の教科書に掲載
万引き家族とスイミーの謎に迫る前に、ちょっとだけこのスイミーについておさらいしましょう。
大事なポイントになってきます。
あらすじはこうでした、
スイミーは小さな魚。ただ、兄弟がみんな赤い魚だったのに、スイミーだけは真っ黒な小魚だった。泳ぎも得意であり速かった。大きな海で暮らしていたスイミーと兄弟たちだったが、大きなマグロに兄弟を食べられてしまい、泳ぎが得意だったスイミーだけがなんとか助かる。
兄弟を失ったスイミーはさまざまな海の生き物たちに出会いながら放浪するうちに、岩の陰に隠れてマグロに怯えながら暮らす兄弟そっくりの赤い魚たちを見つける。スイミーは一緒に泳ごうと誘うのだが、マグロが怖いからと小魚たちは出てこない。
そこでスイミーは、マグロに食べられることなく自由に海を泳げるように、みんなで集まって大きな魚のふりをして泳ぐことを提案する。そしてスイミーは自分だけが黒い魚なので、自分が目になることを決意するのだった。かくして小魚たちはマグロを追い払い、岩陰に隠れることなく海をすいすい泳げるようになったのであった。(引用:Wikipedia)
絵本スイミーの内容を思い出す時、
魚が大群になって大きい魚をやっつける!っていう場面を思い出しませんか?
でもこれ実は、
スイミーの本来のテーマではないんですよね。
絵本スイミーのテーマ
- 家族や友達を失ったスイミー。孤独の中で様々な生き物や美しい世界に触れて自分と生命力を取り戻していく。惨事を経験したスイミーはいつしか自分を取り戻し他の魚たちを導き助ける存在になっていく。
大群のシーンが強くて協調性をテーマにしたお話かとおもいきや、このように自己認識もしくは成長を題材にしたお話、それがスイミーだったんですよね。
作者のレオ・レオンもこんな風にインタビューで答えています。
スイミーはその惨事の中でも生きのこります。苦しんだがゆえに、スイミーはじょじょに、人生の美しさに気がつくようになります。このところは私にとっては、とても重要なことなのです。スイミーははじめはさみしがっていますが、やがて人生を詩的なものとしてながめるようになったことから、生命力と熱意をとりもどし、ついには岩かげにかくれていた小さな魚の群れを見つけだします。
このスイミーと万引き家族の関係は大きく2つの深い関係があります。
その1つ、
是枝裕和監督は取材中に出会ったある少女に向けて映画を作ったとインタビューでも語っていたのです。
是枝裕和はスイミーを読んでくれた少女に向けて「万引き家族」を作った
今回は...今言われてはっきりわかりましたけれども、スイミーを読んでくれた女の子に向けて僕は作っていると思います。
(引用:AbemaTIMES)
是枝裕和監督はテレビ番組を制作していた時代、その先輩から、
「誰か一人に向かって作れ」と言われたんですね。「テレビみたいに不特定多数に向かって流すものほど、誰か一人の人間の顔を思い浮かべながら作れ。それは母親でもいいし、田舎のおばあちゃんでもいいし、友人でもいい。結果的に、それが多くのひとに伝わる」と。
(引用:AbemaTIMES)
特定の誰か、に向けて作品を作る。
テレビ時代に先輩に言われたことを映画監督になってからもずっと意識して作品制作をされてきたんです。
そして、
是枝裕和はある日、
親から虐待を受けて施設に収容され、そこから学校に通っている子供に取材をしに行ったそうです。
万引き家族の原点|スイミーを読んでくれた少女と監督の出会い
ちょうどランドセルを背負って帰ってきた女の子とこんなやり取りがありました、
「今、何の勉強してんの?」と話しかけたら、
国語の教科書を取り出して、僕たちの前でいきなりレオ・レオニの『スイミー』を読みはじめたんですね。
施設の職員の人たちが「皆さん忙しいんだからやめなさい」って言うのも聞かず、最後まで読み通したんです。
僕たちがみんなで拍手したら、すごく嬉しそうに笑ったので、
「ああ、この子はきっと、離れて暮らしている親に聞かせたいんじゃないか」
と思いました。
(引用:AbemaTIMES)
これは、泣きそうなくらい切ないエピソードですよね。。
この少女もきっと虐待を受けてしまって、練習したスイミーを聞かせる親がいない。
それ以来、是枝裕和監督はこの出来事が忘れられなくなり、
すぐに、
執筆中だった万引き家族の台本を追加。
- 少年が教科書を読むシーン
- 柴田祥太(治の息子)の愛読書は絵本スイミーに設定
このようにシーンとキャラクターの設定が作りこまれていった経緯があるそうです。
さらに、
スイミーを読んでくれた女の子に向けて僕は作っていると思います。
(引用:AbemaTIMES)
是枝裕和監督は先輩に言われていた、特定の誰かに作品をつくれという教えに対して、
万引き家族は、
- この時に出会ったスイミーを音読してくれた少女に向けて
万引き家族をつくっている、と明言もインタビューの中で明言されていたんです。
もしかすると、
絵本スイミーのテーマにもあるとおり、
是枝裕和監督はこの少女に、
- 大きくなったら、美しく広い世界をみて、自分を肯定して前を向いて歩いていってほしい
スイミーのように。
そんなメッセージも万引き家族に込めて作っていたのかもしれません。
この絵本スイミーは万引き家族の映画中でも大きな意味をもっていました。
2つ目の深い関係に迫っていきます。
万引き家族の柴田祥太はスイミー
繰り返しますがスイミーのテーマは、
- 惨事の中にあっても、いろいろな経験をして自己認識をしていく物語
でした。
万引き家族に登場する治の息子、柴田祥太はひとつのポイントでスイミーを重ねざるをえない展開になっていきます。
それは、
是枝裕和監督とランドセル少女とのエピソードのように、
本来親に求める願望や欲求が満たせず大人になりつつある祥太。
父を根っから慕っている祥太は、物語終盤になりゆりが犯す犯罪をきっかけに自己認識をしていく描写は、
まさにスイミーのリアル版といえるほどの重なりをみせています。
どんな人でも長く生きれば生きるほど、
楽しいこと、そして反面悲惨で悲しい出来事に直面するかもしれません。
それでも生きる。
そこで出会った人や出来事に、今ある自分を再認識して前に進む。
そうしていくことで、
これまであった出来事を受け入れて、前に進むエネルギーにもなりうる。
そして
万引き家族のように血縁でなくても絆ができることもある。
清浄と汚濁の中に、少しでも美しい世界をみることができたのなら、前に進める。
映画万引き家族と絵本スイミーから僕はいろいろなことを教わりました。
映画中のスイミーについては僕の個人的な推測になりますが、
スイミーを音読してくれた実際の少女との出会いが、この素晴らしい映画を誕生させた秘話になっていることは間違いないでしょう。
これを踏まえて映画万引き家族をもう一度みなおしてみたいですね。
ここまで読んでいただきありがとうございました。